森鴎外のドイツ日記

日本に帰って図書館で鴎外全集の最後に「独逸日記」を見つけ、早速読みました。
アウア―バッハスケラーで鴎外の絵を見て、どういう風に暮らしていたのか、あの寒さとどうやって付き合ったのかとか、、興味があったのです。
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ベルリンからライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘンへ移動しているのですね。
当地で会った日本人やドイツ人の先生の有名な名前もチラホラ出て来るのにも驚きますが、丁度ミュンヘンに居た時 ルドヴィッヒ2世が湖で変死のニュースに出くわしたことが一番のサプライズでした。
本人こそ相当な驚きだったのかもしれません。
その後この事件にまつわる短編を書いています。

初期の作品は漢語調だし、昔の漢字にも苦労しました。
都市名も伯林位ならわかりますが、来責府(ライプツィヒ)、薩索尼(ザクセン)、索遜もザクセン、易北河(エルベ川)、掌破翁(ナポレオン)、維兼(ウィルヘルム)仏特力(ルドヴィっヒ)、
骨喜堂でカフェ、宮廷戯園は多分宮殿内にある小さな劇場かしら?レジデンスのことも〇下戯園で○の部分の漢字が古くてわかりません。

初対面の人物の様子をよく書き留めていて,顔色蒼然、鰓出ず(これはよく出て来ます)鼻柱隆、矮躯、面上縦横刀痕を残し性(格)激怒深き人(怖そー!)など。
ザクセンの宮廷円舞会にも行ったらしいのですが、明治20年前後のザクセンの宮廷と云えば、映画などで見る,蝋燭のシャンデリアの下 貴婦人たちのドレスがくるくる舞う豪華絢爛な絵巻のような光景だったことと想像します。

またライプツィヒだったか郊外で軍事演習に参加した時、近くに住む子供たちが日本人見たさに集まって来たのだそうです。
私の祖父が子供の頃 伊賀の上野に初めて来た金髪碧眼の外人を見ようと 雨戸の節穴から除いたという逸話と同じで、150年前はヨーロッパも日本も同じね!、、と苦笑してしまいました。


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