村岡花子さんの声!

私が中学に入った年だったと思いますが、国語の授業でソノシートか何かに録音された村岡さんのお声を聴いたことがあります。 結構低い声だったように覚えています。
残念ながら内容までは覚えていません。
小学校5年の時「赤毛のアン」を読み、中学校の図書館で8冊くらいのシリーズを見つけ、「アンの娘リラ」まで全部読みました。
新しい本だったのだと思います、独特の匂いや挿絵まで覚えています。先の細いペンでアンの体の線の細さや目が大きいことなどが協調された絵でした。
今思うと、判らないことだらけでしたが、小学5年生では辞書を引くという知恵がなく、判らず仕舞いで読み進んでいました。
例えば、赤毛は判りますが、褐色とか茶褐色、栗毛色とか鳶色など、どんな色か想像もつきませんでした。
またご婦人方の装いも細かく描写されていて、タフタ、モスリン、ギンガムなど頻繁に出て来ました。
生地のことなら祖母や母に訊けばよかったのですね。
グリーンゲイブルズなども、切妻屋根と言われても当時の私は理解できませんでした。
私は小、中学生だったのですから仕方がなかったのですが、翻訳者はどれ程苦労されたでしょう?
明治からこの頃まで映像の資料がない時代、文は翻訳できても意味の解らない単語に悩まされた事と思います。
もっと遡れば、翻訳以前の辞書を作る段階の先人達の苦労も偲ばれます。
日本にはない物を見たことが無ければ訳しようもなく、更に欧州の宗教、人生観、感覚,習慣などに関する単語は絵にもならず、どれだけ考えあぐねたことでしょう?
造語するしかなかったようです。

「~しなすった」など言葉使いも丁寧でした。
更に、レイチェル・リンド夫人の「よござんす!」とか、「~ですわ」などの言い方は 今は死後になってしまったと思います。
ダイアナが「それは恐ろしく悪いことよ!」など「おそろしく」が頻繁に使われていました。
言葉って変わるのですねえ。

私の記憶が間違っていなければ、アンがマシュウに「紫水晶ってスミレの精のため息の様ね」と言ったのが美しいと思いました。
禁欲的な妹と何十年も変化もなく暮らしてきたマシュウの心に、染み込むようなきれいな表現だったのではないでしょうか?
夢多き乙女がそばに居るだけで、マシュウは心が温まる思いだったのだと思います。
「そうさのう、、、」としか言わないマシュウでしたけれど、、、。

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